合唱用マスク

 
  母の所属している合唱団が、もちろんこの半年あまり練習さえできない状況だったらしいのだが、このたびようやく、やんわりと活動を再開できる運びとなったそうで、それにあたり「合唱用のマスクを作ってくれ」という依頼が来た。依頼というより命令か。
 それでネットで検索してみたら、「合唱用マスク」というのは布マスクのひとつのジャンルとして存在するようで、基本的には僕のあまり好きではない、中央に縫い目のある例の立体マスクの形なのだが、下部があごをすっぽり覆って密閉するようにはなっていなくて、そこを少し長めのデザインにして、あごの下の中空に垂れ流すようにすることで、息をしやすくして合唱やスポーツなどをすることを可能にしたマスクだそうだ。ちなみにフェイスシールドだと、自分の歌声がそのまま返ってきてしまうそうで、合唱には向かないらしい。まったくこのご時世に合唱をすることには、実にさまざまな制約がつきまとう。飛沫が飛ばないよう。でも息がしやすいよう。そして響きを妨げないよう。そしてこれは母独自の注文だが、「ダサいのはやだ。そんなの着けてまで歌いたくない」というのもあり、本当に注文が多い。
 そんな雁字搦めの中、このようなものを作った。


 基本的な型紙は、「RickRack」というパターンのお店で購入した(ちなみに商用利用可能らしい)。そこから母の注文で「少し長めがいい」とのことだったので、下部を2センチ伸ばして作った。
 中央に縫い目のあるマスクって、「なんか物々しくて拒否感を抱く」という精神的な理由のほか、柄合わせが厄介そうだから作りたくなかったわけで(その点を解決させた「おさかなマスク」という型も世の中には存在する)、このマスクを作るにあたり手芸屋で生地を選ぶ際、どうしたもんかな、無地に逃げるしかないかな、などと考えていたのだけど、麻っぽい生地にゆるやかな間隔で植物の刺繍がなされたこの生地を発見し、こんなんちょうどいい、となって購入した。裁断は、刺繍部分がマスクのなるべくいい位置に来ることを重視し、地の目なんかは二の次としたが、それでもわりと無駄の多い裁断となった。しかし刺繍のサイズや間隔的に、左右パーツにそれぞれひとつずつ(ないしふたつ)の刺繍を置いて立体マスクを作るのにおあつらえ向きな生地にも感じられ、逆に立体マスク以外にこの生地はどうやって使うというのか、という気もした。なんといっても基本的に無地で、中央の縫い合わせ部分に関して柄合わせを気にしないでいいのがいい。それでいてちゃんとデザインもある。届いた完成品を目にした母は、はじめ僕が手刺繍をしたのかと思ったらしい。するもんか。さすがにそこまで暇じゃないし、37歳の息子が母の合唱用マスクに手刺繍をしてたらちょっと嫌だろう。布マスクを手作りしてやるまではいいが、刺繍となると、それはちょっと不気味の谷を越えているんじゃないかな、という気がする。
 そんなわけで注文通りに2センチ長めにして、いい生地を選んでやったわけだが、話はここでおしまいじゃない。今回作ったマスクで僕がいちばんのストロングポイントとして主張したいのは、独自の工夫を施したこの部分である。


 マスクのサイドの端と、あと下部の両脇というのだろうか、ステッチがあるので見ればわかると思うが、その左右計4ヶ所に、ノーズフィットワイヤーを忍ばせたのだった。これは、別の生地で試作したときに、「ここの生地が耳ゴムの張力でたわんだら結局あごのラインに張りつくじゃん」と感じたため、それを回避するために入れた。ノーズフィットワイヤーとして買ったワイヤーなのでそう呼んでいるが、ノーズとは関係ない。これまでのプリーツマスクにも、買ったものの使用せず持て余していた。それがこのマスクのこの用途にちょうどいいのではないかと思い、使った。これを好みの形で曲げ、生地を外側に張らせることによって、空間が生まれ、ますます息がしやすくなるという寸法である。
 これは我ながらすばらしい工夫ではないかと思ったのだが、こういう独自のこだわりには往々にあることとして、受け取る側の反応はそれほどでもなかった。ノーズフィットワイヤーをあごのラインのゆとりを生むために使うって、すごくいい発想だと思うのだけど。
 母からの注文は「作ってくれ」で、何枚という話はなかったのだけど、グレーと紺の洗い替えの色ちがいで2枚作って送ってもしょうがないので、5枚ずつの計10枚作って送った。ひとりで使い切れる量ではない。仲間に配るという。「ノーズフィットワイヤーをあごのラインのゆとりのために使うという工夫がすばらしい」と仲間内で評判を呼べばいいと思う。あと、刺繍は既成のものだときちんと説明をしないと、「息子の作った布マスク」だけだと手刺繍と誤解されて怯えられるので気を付けたほうがいいと思う。