お師匠による修行は観念的な領域へと


 お師匠からまた修行をつけてもらう。
 実は前回のリオバックの製作の際、当該の商品と一緒に、先般完成した新々パターンの水着も、日頃のご愛顧感謝として同封していた。新々パターンにはハーフバックの要素が取り込まれているが、それはお師匠からのリクエストがなければ決してたどり着かなかった地平であり、その御礼という意味もあった。そしたらお師匠も新々パターンのそれを殊のほか気に入ってくれたようで、それを踏まえての次なるリクエストは、この新々パターンをもとに、さらなるウルトラローライズ版を作ってほしい、というものだった。またそれに加えて、もうひとつ新たな試みも求められた。もちろんありがたく引き受け、製作する。
 出来上がったのがこちらである。
 
ボックスがビキニに恋をした
Nobitattle.


 実際のところ、ボックスとビキニの境界線はどこにあるのか。ChatGPTに問いかけたところ、ブランドごとに解釈が違って明確な定義があるわけではないけれど、サイド幅5cmというのが一種の目安で、だからパピローのそれは本当に境界線上のデザインということになるね、という返事だった。
 僕自身の感覚としては、脚ぐりにゴムを入れずに成立していたらボックス、ゴムを入れなければいけなかったらビキニなのではないかと考えていて、それというのも、脚ぐりのラインが水平に近い場合はゴムを入れなくてもニット自体の伸縮で身体にフィットするのだけど、逆に垂直に近付くとゴムを入れなければ生地が浮いてしまうのである。だからサイド幅を狭くしようとして角度が強くなり、ゴムを入れる必要が生じれば、それはもうボックスの範疇から逸脱してビキニだ、と捉えていた。
 それで言うと、今回のこれの脚ぐりにはゴムを入れていないので、やはりボックスだということになる。ウルトラローライズであるがために、サイド幅としては5cmを切りつつ、脚ぐりのラインはそこまで激しいことになっていないという、なかなか極限的なバランスで成り立っているのである。
 ちなみに前々回の記事で伝えたように、新々パターンはサイド幅が約7cmとなっているが、とりあえず今のところはこれで製作を続けている。理屈の上ではギリギリでボックス型であると言いつつも、ウルトラローライズの5cm未満のもので泳ぐ境地にはまだ至っていない。やがて至るかもしれない。
 ちなみに、「もうひとつ新たな試みも求められた」と書いたが、それはなにかと言えば、こちらである。

われこそ主役。Nobitattle.


 尻の中央に走る線。これはなにかと言えば、こういうことである。
 

 細いゴムを引っ張って縫い付け、シャーリングにしているのである。これによって尻の割れ目がキュッと絞られ、谷間に生地が食い込み、双丘がぷっくりと強調されることになる。いつものことながら、ジョニファーの硬いボディではいまいち伝わりづらいのだが、生身の人間が穿くと、きちんとそういうことになる。なりました。僕が保証します。
 この発想は、ハーフバックやリオバック以上に、自分の中になかった。さすがはお師匠。お師匠は拙者のずっとずっと先の、ずっとずっと高みにいらっしゃるのだな、と改めて痛感した。フロントではぱぱぼとるにのびのびとした空間を与えてやり、バックはバックで割れ目をはっきりと白日の下にさらす。そんなウルトラローライズ水着。それってもう、ほとんど穿いていないのではないか。お師匠は、穿いていない水着という水着を穿いているのではないか。だとすればそれを製作している僕は、いったいなにを製作しているのだろう。もしかするとこれは「はだかの王様」のアンサーソングなのかもしれない。仕立て屋が、逆に王様によって化かされ、世界が揺らぎ始めた。この物語はどこまでいくのだろうか。