ビキニショーツ製作漫談 3

 
 トランクスが放任主義で、ボクサーが束縛過多であるとするなら、ショーツはきちんとその子の体型や気性に合った扱いをしてやっている。ボクサーにも、フロント部分がただの平面ではなく、いちおう男性器分のふくらみを持たせているものもあるが、それはざっくりしている。スペースさえ与えておけばいいだろ、という雑さがある。でもボクサーというスタイル上、それは仕方ないとも思う。ボクサーでありつつ、フロント部分だけは男性器を精細にかたどっていたら、それはそれで変に違いない。
 そうなのだ。ショーツは、男性器をかたどるのである。男性器以外をなるべく覆いたくないという欲求から出来ているがために、それを実現するには、男性器の形をしっかり意識する必要がある。そして、野暮ったくもなく、タイトすぎもせず、男性器をちょうど受け止める形を希求する。これがショーツデザインの骨子である。

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柄もの。黄色地に、白と黒と、画像にはほとんど出ていないが赤の、筆で描かれた線のような模様が入っている。生地としての柄は悪くないし、黄色も好きな感じの黄色なのだが、黄色って肌の色に近いため、穿いても鮮やかさがなく、実は下着に向いていないかもしれないと思った。

 しかしこれがなかなか難しい。なぜか。それは、男性器が陰嚢と陰茎に分かれる複雑な形をしているのに加えて、そのどちらもが時と場合によって、気ままにサイズを変えてくるからだ。これほどサイズが目まぐるしく変わる器官は、男女通じて他にないだろう。乳房は月経前に大きくなる傾向があるらしいが、男性器の変化に較べて緩やかである。ちなみにこれは勃起の話をしているわけではない。勃起のことを言い出したら、もう型紙なんて作れない。ショーツに限らず、すべてのインナーは勃起をしていない状態を想定して作られている(なら勃起したらどうすればいいのか? 答えは「脱げばいい」のである)。しかし勃起でなくとも男性器の形状は常に揺れ動く。たぶん男性器は量子でできているのだ(男性器以外もだけど)。気温や体調などといった要素により、男性器は瞬間ごとにその姿を変える。
 なのでそこは割り切るほかない。僕の場合は、僕自身によるオーダーメイドなので、「まあこんなもんだな」ができる。それこそ10枚くらい、作っては「はみ出る!」、作っては「もさい!」を繰り返し、ようやく今の形にたどり着いた(しかしゴールではない。ゴールは存在しないのだ)。なので一般販売されるものの大変さが偲ばれる。商品ページのレビューで、「小生にはフロント部分が窮屈すぎました」などと書き込まれているのを、本当に、本当によく目にする。それ、お前、言いたいだけだろう、と思う。でも少し小さめに作って、消費者にそういう思いを抱かせるのも、一種のデザインなのかもしれない、などとも思ったりする。

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こちらも柄もの。白地に、黄色の弧と朱色の玉のようなイラストが浮かぶ、よく分からない柄。抽象的な模様とかじゃなく、なにかを描いているっぽい「絵」なのに、本当になんなのかがよく分からない。こんなことってあんまりないと思う。ちなみにこれは購入したわけではなく、ほかのニット生地を購入したら、複数点あるそれを、この生地で包み込むように梱包されていて、要するに購入サービス品なのだった。そんなん、望外に嬉しい。嬉しいのですぐにショーツにした。

 話題が少しずれた。ショーツは形を作るのが難しいと言っても、素材は基本的にニットである。ニットというのは、もしかしするとメンズショーツを作るため、文字通り編み出されたものなのかもしれない、ということをショーツ作りを通して感じるようになった。繰り返しになるが、それは男女通じて体の中でいちばん伸縮する部位であるからして、伸縮するニット素材の特性が最も活かされる。テンション(伸び率)の高いニットならばなおさらで、本当によく伸びるニットだと、勃起にさえ対応し得るほどである。そして僕の勃起に対応できるということは、それすなわち全人類の勃起に対応できることを意味する。
 そんなわけで、ここ数ヶ月の僕と来たら、ファルマンにキレられるほどに、ニット生地を買いまくっていた。ショーツを自作する前までは、労働でも扱ってこなかったし、ニットにはまるで縁がなかったのだけど、一歩足を踏み入れてみたら、それはなかなかに沼だった。
 ニット生地に対し、そうでない、これまで僕が使っていたような生地のことは、布帛(ふはく)と呼ぶ。ニット側の世界から見たその言葉に、まず新鮮な驚きがあった。そしてそんな意図はもちろんないのだろうが、ニット畑の人々は布帛畑の人々のことを快く思っていない気がして、その布帛という言葉には、軽佻「浮薄」のニュアンスが含まれているのではないかと思った。伸縮性があり、(男性器に限らず)複雑な形状の体に寄り添うニットから見て、伸縮性のほとんどない布帛は、「紙じゃねえか」「平面の組み合わせかよ」「ポリゴンかよ」と言いたくなるような単純さがある。フェルトを縫ってヒット君人形を作っていた時代、羊毛フェルト創作を見て、「粘土細工と一緒じゃねえか」と思ったものだが、そのコケにし方とこれはまったく一緒。つまりこれはニット畑の人々の意見ではなく(実際そんな人の言葉なんて一切聞いたことないし)、ただの僕の感想だ。

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柄ものの極めつけといった感じ。曼荼羅的な、偏執狂的な、よくこんなデザインするな、という細かい模様である。一体なにを作ることが想定された柄なのだろう。せっかくなので、悪ふざけでちんこの当たる位置に、画像の通りいちばんメインっぽい、ご神体のような部分を使ってみた。なんとなく加護がありそうな気がする。
こちらは裏面。つまり尻側。神々しい尻。

 ニット生地って、布帛に較べてけっこう安いというのが、また沼の要素なのだ。これは、きっちり織られて型崩れしにくい布帛は長期的に使うもの用で、優しく編まれて伸縮性がある代わりにくたっとしやすいニットは消耗品用、みたいな住み分けがあるからだと思う。だから「高級ニット」というジャンルはあまり見ない。しかも僕の場合は作るのがショーツなので、数十センチあれば十分ということで、50センチや100センチといったお店の最小単位で、あれもこれもと買ってしまう。買えてしまう。そして気づけばあれよあれよという間に、ニット生地は大容量のポリ袋3つ分にもなっていた。参る。しかしおかげで、ご覧いただいているように、さまざまなデザインのショーツを作れている。とても愉しい。近年稀なほどに、いい娯楽を見つけた。ちんこと縫製という僕の2大要素が合体し、しかもそのことについて文章で綴っているこの空間は、積み上げてきたいろいろなものが結実している実感があり、とても愛しい。