ビキニショーツ製作漫談 6


 2月あたりから作り始めたオリジナルショーツだが、実はGWの前あたりから異変が起こっていた。
 それは、これまでいい具合に穿けていたショーツが、なんとなくきつく感じられるようになった、ということである。ウエストの話ではない。男性器の話である。すなわち、性器収める系商品のレビュー欄には必ずある、いわゆる「小生には窮屈すぎました」状態ということだ。なるほど、これがあの、小生には窮屈のやつか、と感慨深かった。
 しかし、なぜこれまで問題なく穿けていたものがきつく感じるようになったか。身体の成長は止まっても、男性器は生きている限り成長し続けるからだ、というのならどんなに生きるのが愉しかろうと思うが、残念ながらそういうことではなく、気温が作用しているに違いなかった。男性器、特に陰嚢部分というものは、熱を避けるために身体の外にぶら下がるようになっていて、でもそれは物理的には危険度が増しているわけで、そのため気温が低くて機能に支障を来さなそうな場面ではすかさず縮こまり、ほとんど垂れ下がらないような格好になる。それに対して気温が高いと、熱をなるべく逃がすために垂れ下がるし、皺が伸びて広がり、表面積を大きくしようとする。その結果、冬と夏では体積がまるで変ってくる。かつて詠んだ短歌に、このことについて詠った、「当園のマスコットキャラ金玉くん夏と冬とでサイズ激変」というものがある。こういうことに思いを馳せるにつけ、男性器への愛しさがいや増す。
 そのため夏の気配を感じはじめた時期に起った今回の出来事も、とても僕の心を喜ばせた。男性器が自己主張をしてくれただけでも嬉しいのに、しかもそれがボリュームを増したという案件なのだから、ますます幸福度が高い。お前がそうやってすくすく育つもんだから、俺はショーツの型を作り直さなければならなくなってしまったんだぞ、と嘆いてみせる僕の心の声は、しかし飛び跳ねるような口調だ。
 というわけでショーツの型紙を新しくした。すなわち男性器肥大化ver.である。
 しかし僕の男性器の、これまでも大概だったが、いよいよ人知を超えたそのサイズを収めることのできるショーツの型とは、どんなものだろうか。なにしろ何度も言うように、僕は中央に縫い目があるのは嫌なのだ。それを解禁すれば男性器のためのスペースは自由自在だが、それは許容することができない。
 まず考えたのはこのような改良である。


 黒い線がこれまでの型で、赤い線が新しい型である。「わ」から右にはみ出ることはできないので、左に向けて線を広げるほかない。前回の記事で述べたように、右下の曲線が作るダーツで立体感を出すデザインなので、この曲線を長くした。それにより生まれる空間は大きくなるはずである。だが気を付けなければならないのは、Aの線、これはバック、すなわち尻側のパーツとの縫合部であり、位置としては蟻の門渡りになるが、この部分の長さは変えられない(長くしたら太もものほうに生地が余ることになる)ので、A’としてその長さは一定に保たなければならないという点である。その結果、図のような形になった。
 それで実際に作ってみたところ、作れないこともなかったが、やはりカーブを強くしたために縫製には多少の無理があった。穿いてみると、なるほどこれまでのものよりも空間は広がったように感じたが、しかし穿き心地的にも見た目的にも、なんとなく違和感があった。
 その違和感は、男性器の置き場所に起因しているのだと思った。なにしろ前方に向かってスペースが生み出せないので、これだと下方にばかり男性器が向かうことになる。男性器は垂れ下がっているものなので下方にスペースがあればいいように思うかもしれないが、しかしそれは胴体の線に対して、真下では決してない。いくらか前に突き出た上で、下に垂れているのだ。参勤交代じゃあるまいし、そんなに下に下にばかり向かそうとするのは忍びないではないか。なにより男性心理として、ある程度は前方に対してその存在を主張・誇示したいという思いがある。セクハラではない。ストリーキングでもない。女性がブラジャーで乳房をいい形に見せるのとまったく同じ心情で、えげつなくないレベルで男性器の膨らみは股間に現れるべきであると思う。我々は女であることを周囲に隠して日々膨らみ続ける乳房を忌々しく思いながら圧し潰すようにサラシを巻く剣道少女ではないのだ。
 となると、当初の信念を押し曲げ、中央に縫い目のあるデザインにするほかないのだろうか。理想を諦めるほかないのか。男性器が大きすぎて、小生には窮屈すぎるばかりに、そんな懊悩に苛まれる日々であった。
 そんなときに、ヒントを探して彷徨っていたメンズビキニショーツの販売ページに、こんなデザインのものを見つけ、これだ、と思った。このようなものである。


 サイドから蟻の門渡りに繋がる、いわゆる鼠径部のラインの中間で線を膨らませる、というデザインである。これは本当に秀逸な発想で、これまでのものと較べ、利点しかない。
 まずダーツが不要である。これまではダーツを縫い、縫い代を割った上で、先ほどの図でいうところのAの辺にロックミシンをかけるという手間があったが、これだとその工程が省ける。そして男性器を収納する位置が、正しい。無理に下に追いやる必要がなく、自然な高さに安定させることができる。


 このデザインを作って穿くと、こういう感じになる。鼠径部のラインの波線は、そういう裁断をしているので、穿いていない状態だと波線だが、人が脚を通してゴムが伸びると、ゴムは直線になろうとするので、これまでと変わらないカーブで鼠径部に寄り添う。それではあの波線が生み出す余分はどこへ行ったのかと言えば、それはサイドから追い出され、前方に逃げるのである。ここがミソだ。これによってこの型は、中央に縫い目のないデザインでありながら、然るべき位置に大きなスペースを生み出す。本当に素晴らしい。
 それでも話は一気に解決したわけではなくて、あの波線を、どのくらいの幅の波線にするか、その点に検討の余地があった。最初に描いたものでは、波が小さすぎて十分なスペースが生まれず、小生には窮屈すぎた。2回目にもう少し波を大きくして作ったものは、かなり改善された。ちょうどいい気もしたが、ちょうどよすぎる気もして、これも一種の小生には窮屈状態ではないかと思った。そのため3回目の試作は、波を本当に大きくした。カーブが強すぎるとまた縫いづらくなるので、そのギリギリのところを攻めた。その結果、フロント部にとても生地が余る仕上がりとなり、穿いてみたところ、僕の男性器はそのスペースを埋めきることができなかった。鏡に写し出された、スペースを埋めきることができなくてフロント部の生地が遊ぶショーツを穿いている自分の姿は、とても哀しくて、すぐに脱いだ。痛い目を見た、と思った。これはとても示唆に富んだ話だと思う。イソップ童話とかにありそうだな、とぼんやり思ったが、いま落ち着いて考えてみたら、実際にある。「おろかなカエル」だ。カエルが無理にお腹を膨らませすぎて割れてしまう話。結局2回目に作った、ちょうどいい具合になる線を採用することにした。人は、男は、少しでも締め付けを感じるとすぐに小生には窮屈とのたまうが、小生にとって窮屈でない、スペースに余裕があるサイズほど哀しいものはない。「小生に窮屈くらいでちょうどいい」という真理に、今回のことを通して到達した。小生はまたひとつ、人としての階梯が上がった。