カバーステッチミシン購入顛末記


 ミシンを買う。さらりと書いた。
 自分の中では満を持して、数ヶ月に渡って資金を貯めての、いよいよの購入であった。
 工業用ミシンがあって、ロックミシンがあって、ボタンホールステッチをしようと思えばできる(ほぼ使っていないが)家庭用ミシンがあって、この上どんなミシンが必要だというのか。分かる人には分かる。ヒントは、近ごろ僕はニット生地でショーツを縫いまくっている、ということだ。
 正解は、そう、AMFハンドステッチミシン! あの、めちゃくちゃでかくて、めちゃくちゃ重くて、めちゃくちゃ音が大きい、あれ! やっぱりショーツの端にハンドステッチが入っているといないとでは、高級感が変わってきますからね! お値段は少々張ったけれど(200万円くらいだったかな?)、完成品を見たらやっぱりその価値はあると思った。
 嘘だ。ソーイングジョークだ。実際は当然、カバーステッチミシンである。
 当然、と言われても、いったい何が当然なのか、と思われるかもしれない。ファルマンがまさにそうだった。それはどういうミシンなのかと訊かれ、説明したところ、「じゃあもうロックミシンはいらなくなったってこと?」という反応だった。そうではない。そうではないのだが、ロックミシンとカバーステッチミシンの複合機というものも世の中にはあるので、たしかにちょっとまぎらわしい。さらに言えば、これまではカバーステッチミシンがなくても、そのあたりのことをロックミシンで行なっていたわけで、じゃあ本当に一体、カバーステッチミシンとはどういう意味のある存在なのか、という話になってくる。
 説明をします。お手持ちのTシャツや、ジャージのズボンなどをご覧ください。その裾に、表側から見るとダブルステッチで、裏から見るとロック、みたいな縫製がなされていることでしょう。それがカバーステッチミシンの仕業です。
 この縫製の感じをカバーステッチを使わずに行なうとしたら、まず端にロックを掛けて、そのロックの上に直線ミシンによるステッチを2回かけないといけない。かつて勤めていたお直し工房では、カバーステッチミシンはなかったため、ジャージの丈詰めの際など、実際にそのようにやっていた。やろうと思えば同じことができるのならそれでいいじゃん、なにもそのためだけのミシンを買わなくてもいいじゃん、という考え方もあるだろう。ファルマンなんかはその考え方の派閥の急先鋒だ。
 ニット製品を扱う縫製工場に勤めたことはないので、業務用のカバーステッチミシンがどういうものかはよく知らないが、たくさんのものを仕立てなければならないのなら、ロックとダブルステッチがいっぺんにできるカバーステッチミシンは必須だろう。これは実利的な理由である。それでは、そうではない個人がカバーステッチミシンをわざわざ買う理由はなんなのかと言えば、それは「そのほうが本格的だから」なのだと思った。プロが実利的な理由で選んだ方法が、個人にとっては「プロっぽい仕上がり」として憧れの対象となる。そういうことだと思った。だから、そこまで規模の大きくない店舗のお直し工房では、これもまた実利的な理由から、カバーステッチミシンを設備として取り入れない。
 要するにカバーステッチミシンとは、スポーツカーの後ろの羽根のようなものだろう。コンマ何秒みたいなカーレースの世界では、あの羽根のもたらす空気の流れの変化が実利的な効果をもたらすのだろうが(そうでなければ付けないに決まっている)、一般人の自家用車には実はまったく必要がない。必要がないけれど、憧れのスポーツカーがそうなっているものだから、わざわざ改造して取り付けたりする。その発想。つまり道楽に近い。
 しかし、これだけ趣味として、自宅にいる時間の多くを捧げているのだから、ある程度の道楽をしたっていいではないか、自分のお金を貯めて買うのだし、俺は自家用車にリヤウイングを取り付けないのだし、という理論武装をして、買うことにしたのだった。今年の誕生日の際、プレゼントをどうするかという話で、「棚を買う予定がある」ということを書いていた。でもしっかりしたいい棚である必要があり、ちょっと値段が張るので、年末に、今年一年がんばったねのご褒美との合算で買う予定である、と。あれはカバーステッチミシンの導入を見据えての話だった。
 部屋のスペースの問題から、どうシミュレーションしても、カバーステッチミシンに専用の台を用意することは不可能だった。これまでロックミシンは工業用ミシンのすぐ隣に置かれたチェストの上に常設されており、気軽にロックミシンをかけ、直線ミシンをして、という平和な世界が実現していた。そこにカバーステッチミシンが来るものだから、さあどうしよう、ということになった。必要性もそれほどじゃないのになぜそこまでして? と思われるかもしれない。でもそれが道楽だ。そこで考えたのが、頑丈なパイプラックを購入し、これまでロックミシンを設置していたチェストと替えて、何段かに分かれているその棚の、ちょっと下の棚にロックミシンを、ちょっと上の棚にカバーステッチミシンを置くという、立体的な解決法だった。話はこれでほぼ決まりかけていた。しかしあるとき別の地域で地震が発生し、それで倒壊の危険性に思いが至った。いくら頑丈なものを買うと言っても、ミシン2台を乗せるのである。もしもそれが倒れたら、ということを考え、この方法は諦めた。この部屋はファルマンと僕の寝室でもあるのだ。
 それで結局どうなったかというと、工業用ミシンのテーブルの左のスペース、これまでパソコンを置いていたここへ、カバーステッチミシンは置くことにした。それではパソコンはどこへ行くのか。そして棚を買ってもらうつもりだった誕生日プレゼントはどういう話になるのか。この解決法として、折りたたみのテーブルが購われることとなった。当初の予定の棚に較べ、3分の1ほどの価格の製品で、だいぶ安上がりになった。これを今、部屋の隅に設置している。そしてこのテーブルに対する椅子はなにかと言えば、それはトレーニングベンチである。工業用ミシンの作業椅子はトレーニングベンチ、というスタイルを当初は謳っていたのだが、ベンチを横に使って座る心地の悪さにわりと早い段階で見切りをつけ、折りたたみの椅子をだいぶ前から使うようになっており、実はトレーニングベンチは部屋の隅で独立して使っていた。これを再び椅子としても使うことになった。今度は縦に、きちんと座面の部分に尻を置くのでそこまで心地が悪くない。これにより、パソコンをしながら、気が向いたらチューブトレーニングをしたり腹筋運動をしたりができる。こちらはこちらでとてもいい形になった。
 立体的な棚を買わずに済んだカバーステッチミシンも、使用感はとてもいい。カバーステッチミシン、工業用ミシン、ロックミシンと、3台が横一列にずらりと並んでいて、なかなか壮観である。なにぶんこれまでまるで親しんでこなかったミシンなので、まだまだ熟練度が足りないのだが、目調子など思ったより合わせやすく、使い勝手は悪くない。どんどん使っていこうと思う。
 練習用にショーツを縫った。
 

 これまではロックをしたあとのステッチは1本だった。それがこれからは2本。そこにカバーステッチミシンの満足感がある。プロっぽいじゃんね。
 

 内側はこうなる。ゴムの太さで折り返した布の端を、きちんと拾うようにカバーステッチの梯子縫いが掛からないといけない。これが少し難しい。でもうまくいったときの快感は大きい。
 穿いてみたところ、これまでカバーステッチミシンは道楽のようなものだと言ってきたが、どっこい、これまではロックと直線ミシンが独立し、すなわち脚ぐり、腰ぐりは、実はステッチ1本だけで出来ていたものが、画像のような、言わば面のような縫いで支えることになるため、安定感というか、落ち着きもよく、穿き心地的にもこちらのほうがだいぶいいんじゃないのか、個人で持つ分にもちゃんと実利的な部分があるんじゃないのか、と思った。つまり僕は、とてもいい買い物をしたということです。