しかし意気揚々と始動したのび助計画であったが、実際にやってみて、これがそう容易なことではないことに気が付いた。2枚の布を縫い合わせて立体を作り出すのだから、どんな形でも自由自在、1枚の布でちんこのための膨らみを捻出しようとするよりもはるかに単純な話であると、取り掛かる前は甘く見ていたのである。これはとんだ見当違いだった。すぐに制圧できると踏んでいた事案は、想像していたよりもはるかに深い泥沼であった。
問題は大まかに言ってふたつある。
まずひとつ目は、ちんこは大きさが一定ではないということである。
もちろんそんなことは前々から分かっていたのだが、今回のようにちんこを、ちんこの形をしていないところに半ば無理やり収めるのではなく、ちんこのための空間をきちんと作ってやると考えたとき、ちんこの大きさの変化は問題だった。
平常時と勃起時の話をしているのではない。ちんこというのは、そんな単純な二元論では語れない。リクライニング椅子など、使用者によって角度調整ができる製品で、動かすとカチッと音が鳴って止まるポイントがあるものは、そのポイントの数によって6段階調整、12段階調整、などと語られるが、そういうポイントがなくて使用者が好きな所で固定できる仕組みのものは、無段階調整という表現がなされる。ちんこは無段階調整である。あるいは、猫は液体である、という言い回しがある。猫の体のしなやかさを表したものだが、ちんこもまた液体であると思う。実際、ちんこは海綿体部分に血液、すなわち液体が満ちたり引いたりすることによって大きさが変動するので、これは事実と言えば事実である。
寒くて縮こまっているとき、本当に普通の状態のとき、微妙に半勃ちしているとき、そしてフル勃起しているとき、ちんこのサイズはまるで異なる。どんな状況でも、のび助として、息子にはのびのびしていてほしいと思う。そう強く願ってやまないが、どうしたって限界はある。どこかで手を打たなければならない。そのどこかが難しいのだ。
まず試作1号として、以前「ビキニショーツ製作漫談 4」でも使った画像だが、フロント面をこのようなパーツ2枚で作ってみた。
これの右のS字部分を中表で縫い合わせ、立体感を出す。 ちなみに縫い合わせた部分は、縫い代を倒してカバーステッチを掛けた。縫い合わせた部分が縫い代の突き出しなどで凸凹になるのが本当に嫌なのだが、カバーステッチを掛けたらきれいでなめらかなカーブになったのでよかった。
穿いてみたところ、うん、となる。悪くはない。こういうことだな、と思う。袋のようになった部分に性器を入れるとき、おもんぱかられているな、という悦びがある。このときは息子のほうの気持ちになっている。作ったのも自分だが、大事にされているという幸福を感じるのも自分である。セルフプレジャーだな。
しかし穿き心地や、鏡に映った姿を見て、このように思う。
もう少し大きな器を用意してやるべきではないのか。
平常時のちんこがすっぽり嵌まるということは、体積を増したらきつくなるということだ(ある程度のニットの伸びはあるにせよ)。それはよくないのではないか。息子の可能性の芽を摘んでしまっているのではないか。もっと大きな器を用意してやれば、息子はもっとのびのび生きられるのではないだろうか。
そう考えて、このような修正をする。
線を盛り上げ、ピンク色の部分だけ、ちんこのためのスペースを大きくした。
そうして作った穿いたところ、なるほど1作目よりゆとりがある。平常時であれば十分だろう。普通なら基本的に下方に垂れるちんこが、前方に用意されたスペースに収容されるので、横から見るとだいぶ体からちんこが突き出るようになる。これがいい。これが愉しい。男性としての矜持が充足するのを感じる。
そうなってくると、どうしたって次にこうなってくる。
まだいけるのではないか、まだ高みを目指せるのではないかと、さらに線を伸ばした。 穿いてみれば、平常時ではだいぶ生地が余るようになった。でもそれはあくまで平常時であって、平常とは言いつつ、ちんこ本来の状態って果たしてどれなの、という話であり、勃起すればこれにだって十全に収まるわけでは決してない。だとすればこれだってやりすぎということはないだろうと思った。
そう思いながらも、初めて試みる様式のショーツに、第三者の意見も求めておこうと、ファルマンに着用姿を見せて感想を聞くことにした。
その結果、「バカ! やめろ!」と叱られた。
ちんこが異様に前方に突き出すオリジナルショーツを穿いた状態で、こっぴどく叱られた。シュンとした。できればジュンとしたかったのに、したのはシュンであった。
これこそがのび助ショーツの問題点のふたつ目、見た目が変態っぽい、である。