真の意味でちんこをのびのびさせるとはどういうことなのか。
そんなことを考え続けた、30代最後の夏だったように思う。暑くて熱い夏だった。
前回の記事、「ビキニショーツ製作漫談14」において、僕は勃起時に対応するショーツを製作し、紹介した。その最後に、『勃起に対応するショーツは、勃起をしていないときはどうなってしまうのか問題については、次以降の記事で触れる』と書いて、そこから4ヶ月近く間が空いてしまった。こうも長く更新が途絶えたことで、パピロウはショーツ作りに飽きてしまったのか、また悪い癖で、資材を集めるだけ集めたあとぱったりと興味をなくしてしまったパターンか、と危ぶんだ向きもあったろう。そうではない。ショーツという趣味はこの期間中も常にすぐそばにあった。なにぶんショーツは毎日穿くものだし、なによりもショーツを穿く理由であるちんこに至っては、絶対的な存在という表現を超えて、そもそもちんここそが僕自身なのではないかという次元で、暮しの中に君臨し続けていた。なのでこの求道が終わることは決してない。ならば記事の更新が滞った理由はなんなのかと言えば、いろいろ揺れ動いていたから、というほかない。
勃起に対応するショーツは、平常時と勃起時のちんこのあまりのボリュームの落差によって、平常時にはどうしたって生地が余ることとなる。そして中身が埋まることのない生地は、だらんと垂れ下がるほかない。それは見栄えとしてよくないのはもちろんのこと、数日間の実践の結果、心理的にもあまりよくない効果をもたらすことが判った。喪失感、欠落感、そして焦燥感。勃起を象っているのだから平常時にそうなるのは当然のことだと、理屈は誰よりも分かっているはずなのに、ちんこで埋められないスペースがそこに生じてしまっているというのは、精神衛生上どうしてもよくない作用をもたらすのだった。これをファントムエレクトシンドローム(PES)と呼ぶこととする。
この改善策として、余った生地を内側に折り込み、普通のショーツのような形に仕立てる、という方法を考案した。いちど生地を押し込むだけではぜんぜん足りない。3回くらい行なうことで、ようやく余った生地はちんこに寄り添う。これをショーツアコーディオンテクニック(SAT)と呼び、PESに対してSATを行なう一連の行為を、PESSAT(ペッサット、あるいはペザト)行動と呼ぶ。この部分は毎年試験で必ず出題される。
これにより、男性性の最大特徴と言ってもよい勃起のために作られたショーツによって、それを穿く男性の股間には陰唇のごとき襞々が爆誕することとなり、ここにはある種のアンドロギュヌス的な倒錯感が生じる。「人工ふたなり」と僕はこの状態を名付けた。自分が切り拓いた新しい大地なので、あらゆる事象に名前を付け放題で愉しい。
しかし勃起時以外は折りたたむことで一応の決着を見たはずのフル勃起ショーツであったが、いくら僕が歴史的なレベルの絶倫とは言え、勃起している時間と勃起していない時間を較べれば、どうしたって勃起していない時間帯のほうが長いわけで、だとするとフル勃起ショーツは、その滞在時間だけで考えれば、むしろ陰唇ショーツと称したほうが適当、ということになってしまうのだった。
客観的に考えて、たぶんそのあたりの問題に対して、なんだかなあという思いを抱き、だから僕は、だから僕はフル勃起対応ショーツ作りをやめた。間違ってないだろ。間違ってないよな。間違ってないよな。間違ってるんだよ。わかってるんだ。あんたら人間も本当も愛も救いも優しさも人生もどうでもいいんだ。正しい答えが言えないのだって防衛本能だ。どうでもいいや。あんたのせいだ。
フル勃起対応ショーツが陰唇ショーツみたいになってしまうのが嫌だった僕が、そのあと積極的に作るようになったのは、再び原点に戻って、フロント部分に特に膨らみを用意しない、1枚布で作るガーリーライクショーツだった。皮肉な話じゃないか。いったい僕は自分の股間をどうしたいというのか。男らしくしたいのか。女の子みたいにしたいのか。しかしその答えは、「決めなくっていいんだよ」である。いい時代になったのである。定めなくても別にいいのである。
というわけでしばらくはガーリーライクショーツに回帰していた。のび助ショーツを作り始めたときは、もしかしたら僕はもう二度と、既に100枚以上作ったこのタイプのショーツを、作らないし穿かないかもしれない、などと思ったが、少し気恥ずかしさを感じながら地元に帰ってみれば、温かく迎えてくれたし、これはこれでやはり居心地がいいのだった。狭い場所に押し込められて少し窮屈そうにするちんこを眺めながら、どんなにちんこにフル勃起用のスペースを与えても、たくさんのかわいそうなロボットを操っても、土から離れては生きられないのだ、ということを思った。
ところがどっこい、である。
今回はあまり間を空けずに話が続くと思う。