ビキニショーツ作りからボクサータイプのスイムウェア作りへと製作の主軸が移行していたが、そのスイムウェアももう30も40も作ってしまい、さすがにこれ以上作っても穿ききれねえよ、管理しきれねえよ、という飽和感が漂い始めた。
それで次に僕が作り始めたのは、なぜか一周回った感じで、いわゆるボクサーパンツであった。水着素材ではなく、綿などの一般的なショーツ素材で、日常に穿く下着としてのボクサーの製作を始めたのだった。
スイムウェアをたくさん作ったことで自分の理想とするボクサーの型が仕上がったので、それを活用したいという気持ちもあったし、なにより理由として大きいのは、ボクサーならばそれ一丁で家族の前に出ても許されるのではないかという思いがあった。部屋で筋トレをするときはなるべく身軽な恰好がよく、上半身のパンプアップを確認するためにもできればパンイチがいいのだが、それでリビングにちょっと出るとなると、ビキニショーツは、上の娘ももう中なので、さすがにまずいかもしれないぞ、という疑念があるのだった。そしてこちらはかろうじて疑念にとどまっているが、のび助ショーツともなると、ファルマンが「洗濯で干したくないんだけど」と文句を垂れるほどに忌避されているため、名称に反し、のびのびと大手を振って着用することは望むべくもなかった。その打開策としてのボクサーというわけである。もっともそうこうしている間に季節は移ろい、もうそもそもパンイチで過せるような気候ではなくなってしまったのだが、夏はどうせまた巡ってくるので、それを理由に製作がストップすることはないのだった。
それにしても一周回ってというのは本当にその通りで、今のように手製のビキニショーツを穿くようになる前は、ネットで買った既製のビキニショーツを穿いていて、そのさらに前はボクサーだったのである。そして当世、大多数の男性は疑問を抱くこともなくひたすらボクサーを穿いているのである。であれば、ふたたびボクサーに還るということは、僕のこの数年間は、単なる無駄な寄り道であったということだろうか。もちろんその答えは否である。僕のホームグラウンドは、ガーリーライクなビキニショーツであり続ける。ボクサーは上記の通り、社会性から仕方なく、必要に迫られて作るという部分が大きい。もちろんそれでも、スイムウェア製作で培った、自分の納得いく形に仕上げたつもりである。
その記念すべき試作1号がこちら。
言っていることとやっていることが違うではないか、と思われるかもしれない。自分でもそう思う。それ1枚でも娘の前に出られるように、という理念と、明らかに意図的に仕立てている股間部の膨らみという実情が、まったくもって乖離している。理想と現実は得てして合致しないものだけど、これもそのいい例だ。
スイムウェアをベースにしていると書いたが、もちろん公共のプールで泳ぐスイムウェアは、こんなことにはなっていない。前から書いているように、まったく盛り上げていないわけではないが、もっとだいぶ抑え目の盛り上げ方だ。それはそうだ。これはダメだ。これはダメなものを、なぜ作ってしまったか。
公共の場ではダメだけど、言うても自分の家やから、もうちょっと盛り上げてもいいんじゃないか、と思ったのである。そう思ってカーブ定規で線を引き延ばした結果がこれである。ぜんぜんダメだったのである。実際に作り上げる前から、それは目に見えていた。目に見えていたけれど、修正はしなかった。修正したら、自分自身がのびのびと、それ1枚でリビングにも出られるというのに、自分自身よりもちんこを優先してしまった。ちんこをのびのびさせるほうが大事だと思ってしまった。なんという親心だろうか。
あなたへの抗議を込めたためいきにそれでも愛を含んでしまう ファルマン
自分がこれを穿いた姿を見て、思わずこの歌を思い出した。健全な下着を作ろうと思うのに、それでも指が膨らみを描いてしまう。そしてファルマンに、「これで子どもの前に出ても大丈夫かな」と訊ねたときの、眉間の皺。そこに刻まれた僕への愛を感じ取った。
ボクサー、さらに研究を重ねようと思います。