ビキニショーツ製作漫談 18 (2024年最初で最後)


 去年の大みそか以来、すなわち約1年ぶり、そして2024年最初で最後のビキニショーツ製作漫談である。
 まったく作らなかったわけではないけれど、今年はとにかくショーツよりもスイムウェアにかまけた1年だった。なにしろショーツはそれまでの2年間で阿呆みたいに作り、その数は150を超え、飽和状態となっていた。わが家の押し入れにはレギュラー落ちしたショーツをパンパンに詰めたエコバッグがふたつ眠っている。父が阿呆みたいに自作し、そしてレギュラー落ちして押し入れ行きとなったショーツは、いったい今後どうなるというのだろう。いつか引っ越しがあったとして、あのエコバッグは新居に連れていってもらえるのだろうか。
 さて、そんなふうに情況は完全に下火と言っていいショーツ製作であるが、年末年始の休暇に入り、裁縫方面でなにかやろうと考えたとき、スイムウェア用の新しい生地も実はちゃっかり仕入れているのだけど、それと同時に、ショーツに関しても、このような落ち着いた場面でなければなかなか本腰を入れて取り組もうとは思わない目論見があるのだった。
 型紙の刷新である。
 今年に入って何枚か作ったショーツであるが、製作歴も3年目に入り、その仕立ては現時点での最高到達点となるべきだというのに、実は微妙にその仕上がりに違和感を抱いているのである。それで意外と新しく作ったものはあまり穿かず、初期から中期に作ったものを繰り返し穿いていたりする。
 ショーツもスイムウェアと同じく、型紙は細かく修正を重ねていて、ショーツにおけるその希求というのはほぼ、尻の割れ目が上から覗けないギリギリの所までウエストを浅くする、という点に尽きるのだけど、それを突き詰めていった結果、どこかで一線を超えたようで、大事ななにかが失われてしまった感があるのだった。しかしいまさら最初期の型紙に戻すのは抵抗がある。いちど細くしたものを再び太くするのは、苦労して削った野暮ったさをまた着込むことのように思え、なかなか勇気が出ないものだ。
 画像を見てもらうと話が早い。
 こちらが一線を超える前、初期から中期くらいの時期に作ったもの。


 それに対してこちらは一線を超えたあと、最近作ったもの。


 見せていないが、たぶんこのふたつの画像を見たファルマンは、こう言うと思う。
「どっちも一線超えてんじゃねーか」
 違うのだ。あなたとは違うんです。あなたがたとは一線の捉え方が違う。熟練の板金工が、機械で計測しないと分からないような0.1mmくらいの差を見極めるように、繊細な僕には感じ取れる一線が、この両者の間にはあるのです。41の僕には誰にも話せない悩みの種があるのです。
 具体的な数字で言うと、サイドの、最も細くなる継ぎ目部分の幅、これが上のものは2cm、下のものはなんと1cmとなっている。女子ビーチバレーのユニフォームは、ビキニショーツのこの部分が、かつて「7cm以下」と公式に定められていた。それはどこまでも興行的な理由からだったので、オリンピック種目となり、イスラム圏の選手が現われたり、そもそも宗教に関係なく時流的にそぐわなくなったので、批判を受けて撤廃された。重ねて言うが、それが「7cm以下」なのだ。翻って、こちらは2cmと1cmの差異について言及している。メジャーリーグと草野球くらい、あなたがたとはプレイしているフィールドの次元が違うということがご理解いただけただろうか。
 また、へそから真下に降りてショーツ生地に到達するまでの距離、つまり下腹部をどこまでさらけ出すかという長さだが、こちらは上のものが16.5cm、下のものが18cmとなっている。ちなみにこれはあくまでジョニファー・ロビンのへその位置からの計測なので、いまあなたが試しにやってみたように、自分のへそから18cm下の位置を求めても意味がない。大事なのは、最新のショーツは初期のものに較べ、1.5cmも浅穿きになっているという点だ。先ほど尻の割れ目が出ないギリギリの所と書いたが、それを順守する一方で、フロントにおける陰毛については、むしろ上部にはみ出ることを企図している。なぜなら尻の割れ目ははしたないが、陰毛はセクシーだから。そういう理念でそうしている。この陰毛の露出面積が、新型では旧型より1.5cm分大きくなっているわけで、ジョニファーに陰毛がないものだから伝わりづらくもどかしいが(いっそ俺がひと肌脱いでやろうか)、1cmだけ露出していた陰毛が2.5cmになると考えたら、それがどれほど大きな変化かご理解いただけるのではないだろうか(先ほどからやけにご理解を求めている)。
 そういった希求の中で、とうとう超えてしまった一線があったわけだけど、しかしながら希求は確固たる信念のもとに行なわれたというのは紛れもない真実なわけで、決して間違っていたわけではない。サイドが細すぎるせいで地の目が乱れやすく、それで完成度が下がっているという、技術的な可能性も否めない。
 大事なのは折り合いだ。そもそも僕はショーツに何を求めているのか。当初の目的は明確だった。「ガーリーライクショーツ」という表現を当時の僕は使っていて、女の子(現実ではなく架空のっぽいが)が穿くようなショーツを俺も穿きたいという欲求のもと、ショーツを製作していた。それは男性用に作られ販売される「ビキニ型アンダーウェア」とは似て非なるもので、男性用のそれが強調する(俺のちんこ)「どーだ!」感を、強く忌避していた。していたはずなのだが、やはりちんこのパワーというのはすさまじいものがあって、いつしか僕は取り込まれ、「どーだ!」感を求めるようになっていた。それが暴走した結果が、フル勃起にさえ対応するのび助ショーツであった。さすがにのび助ショーツは現実的ではないとして、言わばコンセプトカー的なポジションで、記事にアップしたとき以来作っていないが、いちどその沼に落ちた人間が、清廉なせせらぎに戻るのは難しい。かくして陰毛は1.5cmも大きく露出することとなった。
 ちんこが大きすぎる、というのもまた、これは僕個人の特殊な事情であり、読者諸兄には残念ながらご理解いただけるとは思えないが、この型紙問題について考えるにあたり大きなファクターである。ちんこ「どーだ!」感を強調するのはいいが、それはどうしたって布面積を小さくすることに直結し、そうなってくると巨根を布の中に収めるのはどんどん困難になってくる。逆にガーリーさを求めて布の面積を大きくすると、巨根の収まりは改善される。このディレンマはいったいなんだろう。男らしさはちんこを拒み、女らしさはちんこを受容する。うまくいかないな、とも思うし、それはそうだよな、とも思う。
 松浦亜弥は唄った。言葉を紡いだのはつんくである。
 迷うなー セクシーなの? キュートなの? どっちが好きなの?
 本当にそうだな、と思う。ふたつのコンセプトの間で揺れ動く心。こんなふうになっちゃうのは、ちんこが好きだからよ。ちんこが好きだからよ。
 ちんこの望むように、型紙を新しく引き直そうと思っている。